プロフィール

【第1章】自由になった大学時代に卒業と就職の試練に…

ちゅらりき
ちゅらりき
前回のあらすじ 

両親は共働きで家に帰ればいつも独り…。

そんな少年ちゅらりきは高校時代野球にのめりこみます。

その後は受験勉強の甲斐あって関西の私立大学に入学

その大学生生活は貧困と就職への窮地に立たされる…

「金は○○より重い」その意味を知る…

毎日10時間の努力の甲斐あって
無事浪人することなく京都にある大学に進学し
一人暮らしスタートとなりました。

一人暮らしは新しいことの連続でした。

食事の用意、お金の工面
洗濯・掃除のやりくり
自由に友達と遊べる!など
少しづつでしたが慣れていきました。

また、幸い下宿先は一人暮らしの学生ばかりで
友人のほとんどが自転車で10分の所に住んでいました。

そのため多くの友人と仲良く日々過ごしていました。
毎日家で酒を飲んだり、スマブラしたり
麻雀したり、ただ一緒にいたりww

そうなるとお金がかかりますよねww

ですが、周りの友人は何故かお金をもっている子が多かったのです。
さすが関西の有名私立です。

ちゅらりき
ちゅらりき
お金持ちの家庭って次元が違うよ( ゚Д゚)

常に預金口座に100万位あるんだよww
しかも減ったら勝手に入金してくれるとか。。

田舎の芋タロウの私とは金銭感覚もずれてました。

そんな私も生活するためにバイトをします。
コンビニや塾講師、家庭教師、選挙の窓口調査
サービスエリアの荷出し
パチンコ屋のスタッフ等
数多くのバイトを経験しました。

ただ、どれもお金のためにやったバイトだったので
仕事=お金
のイメージで日々こなしていました。

これは今でも変わっていないので
やはり最初の仕事のイメージは大切なのかもしれません。

大学の学費は年間100万くらいありましたが
奨学金を年間120万借りてました。

勿論両親には大学に通わせてもらって
とても感謝してます。
しかし、大学時代に一番学んだことそれは

「金は命より重い」

ちゅらりき
ちゅらりき
カイジの利根川先生ですやん

学費は高く、生活費もかかるので

とにかくお金がありませんでした。
家賃は2万8千円で、1日に使えるお金は約1300円くらいでした。

激安スーパーに行くために自転車で30分かけて
食材や安い出来合いの物を買って生活していました。

100円で買える餃子や、
夜8時には多くの総菜が半額になることを知っていたので
常にその時間帯を狙って行動していました。

給料日前は財布に1000円もない…
そんな生活当たり前でした。

両親や姉は遠く離れた地におり
誰も頼ることができない時で、
あと100円で弁当が買えるのに…

ちゅらりき
ちゅらりき
お金が足りないから100円納豆で3食を乗り切ろう…

みたいなこともありました。
お金が最も大切だとは言いませんが
生活するうえでお金はとても重要だと学びました。

バイトと自堕落な生活の末に…

学業こそ最初の1年はしっかり単位は取れたのですが
バイトと自堕落な生活になれていしまい、朝の講義に出れなくなり
出席しないとテストも当然取れず
大学3年時に留年が確定してしまいます。

まさに典型的なダメ学生でした。

昼まで寝て、ネットしたりマンガ読んだり…
夜は麻雀したり家で安い酒をみんなで飲んだり…

もはやこのまま卒業できずに大学を去る…
そんな友人もいる生活をしていました。

しかし、留年が確定してから自堕落な生活をしていたある日
とある友人I君に心を打たれました。

I君は結構変わり者で、下宿先ではフェレットを飼っていて
留年確定したにも関わらず

I君
I君
俺、京都大学の院に行くわ 
ちゅらりき
ちゅらりき
( ゚Д゚)ふぁ!?
I君、マジで言ってるの??
確かに無理ではないけど、さすがに京大は難しいのでは…

と心の中で思いました。

確かにうちの大学から京都大学に入る人はいました。
ですが、留年してから入った人は見たことがなかったので驚きました。

しかし、そこからI君の本気を感じました。
一心不乱に講義に出て、勉強して、教授に質問してメキメキ成績を上げていきました。

これにつられて

ちゅらりき
ちゅらりき
よし、なら俺は院に行く気はないけど

もう一度勉強の鬼になる(`・ω・´)

と意気込み、卒業単位を取るだけでなく
その全てでA評価を目指して
友人I君と必死に1年間くらい勉強しました。

後にI君は本当に京都大学の院に行きます ( ゚Д゚)マジパネェ

努力の甲斐あって、無事最後の1年間は全てB評価以上取れたかに思えたその時
就職試験と卒業単位が重なる時期に異変 が起きるのでした。

就職試験と卒業を賭けた単位の取得…!!

私が就職試験の時、両親は海外に住んでいて、実家も貸家としていたので
実家に帰ることもできない状況でした。

この時が一番お金に困りました。。

就職試験は当然、大阪・名古屋・東京が多く
当然最初のうちは交通費もでません。

バイトをしてお金を稼ぎ、そのお金で生活しながら
将来の就職のために都心に試験に受けに行く。

お金がないから新幹線も乗れません。
夜行バスや急行を乗り継いだりしてお金を節約しました。

時には3次試験で東京面接の際お金がなさ過ぎて
夜行バスで行ったにも関わらず、新幹線代を請求したら
領収書の発行先でバレて試験に落ちたりww

日帰りができず、あったこともないネットで知り合った
社会人の家に泊まらせてもらったり、
今思えばかなり凄い生活をしていました。

それも何故かというと
就職できなければ、ニート(フリーター)確定だったからです。

そのため必死に就職試験を受けて
東京にいた時には東北大震災に見舞われ
コンビニに行っても何も食料がない…
帰ろうにも新幹線が動いていない…

そんな日々を過ごしようやく
今の製薬企業に就職が決まりました。

しかし、就職が決まっても私にはどうしても苦手だった
必須科目のテストが一つだけ残っていたのです。

今でも覚えています。そしてテストの時の夢を見ますww
それは必須にも関わらず落第率60%超える科目でした。

勿論必死に勉強して、テストに臨みました。
しかし、うっかり最初の計算を間違えてしまい
後の大問全てその計算ミスにより値がズレてしまったことをテスト後に気づきました。

この時は人生で一番レベル(親にエ〇本見つかった時ぐらい)に焦りました。

なにせこの単位が取れなければさらに留年が確定
しかも就職先も辞退して
お金もないから、またバイトで食いつなぐ人生に…

いやいや、ヤバ過ぎでしょw

今できること、それはまず教授に事情を説明して
とにかく単位を最低評価でもいいからもらうこと。。

そして、教授の部屋の門を叩きました。

ちゅらりき
ちゅらりき
今回の試験は、私なりに半年間必死に勉強して受けました。この単位が取れなければ、私の卒業後の人生が大きく崩れます。
ミスもあったかもしれませんが
単位だけは下さい

もう懇願です。靴舐めてでもいいから!くらい必死でした。

すると教授が一言

教授
教授
それはあなたの事情です。みんな頑張ってますから、
公平にジャッジします
以上です。

(´-ω-`)オワタ

教授ごもっともです。ぐうの音もでません。
かくして後は成績結果を待つだけでした。

成績を開く瞬間まさに心臓バックバクでした。

成績はC判定!!(D判定から単位取得)
合格!!人生首の皮一枚残りました。

しぶとい俺!!ニート回避!

試験の答えは間違っていたのかもしれませんが
解き方が合っていたので点数をくれたのかもしれません。

答えという結果だけでなく
その過程を評価した成績だったのかもしれません。

なにはともあれ何とかニート回避しました。

とにかくお金がなかった学生時代
就職試験も東北大地震と重なり波乱続き
実家は貸家で家にも帰れない
卒業できなければニート確定

なんとかこの実情を回避して
無事社会人となりました。

そんな社会人時代
ついに地獄の付き合いに足を踏み入れるのでDEATH。。

【第2章】製薬企業に就職!1600人の一員となり社畜の日々に… 就職した先には6か月の缶詰研修……  京都のド田舎での学生生活が終わり 次に待ち構えるのは入社式です。 ...
Top